紹介する本:高橋和巳『新しく生きる』三五館、2001年
1.はじめに
私は10代から20代にかけて自殺未遂を繰り返していました。今はカウンセリング治療のお陰でかなり落ち着いていますが、希死念慮に苛まれる苦しみや、そのなかで気持ちを立て直すことがどれほど難しいかを、いやというほど味わってきました。
以下に紹介するのは、私が精神の危機を迎えていたときに繰り返し読み、心の支えにしてきた本です。著者は愛着障害やカウンセリングの技法に精通する精神科医、高橋和巳氏です。高橋氏は多くの本を出版していますが、『新しく生きる』は「自殺」というテーマに深く踏み込んだ、隠れた名著です。
私は本書を読むことで、「死にたい」と思うほど強い葛藤が作られる仕組みと、この葛藤を解きほぐしうる確かな方法を学びました。それらは希死念慮の対処にとどまらず、人間の心の不思議さ、奥深さに触れていると思います。精神的苦痛の悪循環に閉じ込められ、自分を制御できない無力感と、世界から断ち切られたかのような孤立感に打ちひしがれているとき、この苦しみにも普遍的な意味があると思えたことは大きな慰めになりました。
2.本書の概要
「枠」と「自己受容」
人の心の苦しみや悩みは、自分を嫌ったり、責めたりすることから始まって、「死にたい」と思う気持ちのなかで一つのピークを迎えます。そのような葛藤は、なぜ私たちの心に生まれてくるのか。そしてこの苦しみは、どうすれば和らいでゆくのか。高橋氏はこの切実な問いを、心のこもった、平明な言葉で解き明かしてゆきます。
本書のキーワードは「枠」と「自己受容」です。他者との信頼関係や社会との繋がりを維持するために、つまり生きてゆくために、私たちが半ば無意識に人生のなかで作り上げてきたものが「枠」と呼ばれます。それは「〇〇すべき」、「〇〇しなければならない」のような、多くの義務を課してきます。
枠は私たちが安定した生活を営むために必要なものですが、同時に私たちの感性や思考を型にはめ込んでしまいます。枠が強すぎると、私たちは自分が感じていること、思っていることを、ありのままに認められない。また、頑張っても枠を守れないときには、自分を嫌いになったり、責めたりしてしまう。逆にこの枠の外側に出て、感じていることをありのままに感じることができれば、自分を制約している枠の存在を知り、その拘束から自由になることもできるようになります。このプロセスが、「自己受容」と呼ばれるものです。
本書を通じて、人が自己自身を受け止めることで悩みを乗り越え、人生を変えてゆく過程が描かれています(「枠」をはずす→「枠」を知る→「枠」から自由になる→「枠」の外へ踏み出す)。
「死にたい」を知って変わる
本書の特徴は、私たちが生きるために作り上げた「枠」が、死を希う気持ちを生み出してゆくという逆説的なプロセスを、ひたすら丁寧に、分かりやすく辿っている点にあると思います。
希死念慮は単なる「治療されるべき、不健全な、誤った思い」ではありません。「死にたい」という気持ちは、誰にでも生じうる、自然な心の動きです。むしろ、生きる意欲によって支えられ、作りだされているとさえ言えます。この不思議な状況を、高橋氏は次のように言い表しています。「こうして私たちは感情を正直に追ってゆくと、『死にたい』と思うのは、『生きなければならない』と決めているときだけである、という逆説に気づくであろう。」
「死にたい」という気持ちすら受け容れてゆく自己受容の力は、私たちの生き方を変える可能性を秘めています。自分の枠を知り、枠を作ってきた自分も、枠からはみ出てしまう自分も受け容れることによって、一度は嫌ってしまった自分を、もう一度好きになることができます。
それは、単に元の自分にもどるという意味ではありません。自分の枠が見えることによって、ほかの人の枠も、枠からはみ出してしまう姿も見えるようになり、他人のことを愛しいと思う気持ちさえ湧いてきます。
このように世界の見方が深められると、同じものを見ていても、今までは見えなかった陰影や光彩が目に入るようになります。枠の外と内を行き来するありのままの自分を認めることによって、ものの見方が変わる可能性があるのです。今のままの、ありのままの自分を受け容れるからこそ、「新しく生きる」ことができる。ここに、人の心をめぐるもう一つの逆説があります。
3.補足
本書は絶版のため、現在は中古でしか入手できません。再版を強く希望しますが、入手しやすくて読みやすい、ほかの本も紹介しておきます。
・代表作と言える『人は変われる』(ちくま文庫、2014年[三五館、2001年])では高橋氏の中心的なテーマが論じられており
・その最先端の考察は、新刊の『親は選べないが人生は選べる』(ちくま新書、2022年)で読むことができます。
・愛着障害については『消えたい』(ちくま文庫、2017年[筑摩書房、2014年])、『「母と子」という病』(ちくま新書、2016年)などがあります。
・カウンセリング技法については『精神科医が教える聴く技術』(ちくま新書、2019年)があり、心理療法の専門家だけでなく、心理療法を利用する当事者やご家族にも参考になると思われます。